東郷青児(59歳) 1956年

撮影:石井幸之助

東郷青児は、甘美な女性像で知られる洋画家です。
1916年、19歳の時に、西洋の新しい美術を志向する日本の画家たちが集まっていた二科展で最高の二科賞を受賞。
1921年から7年間フランスに留学しピカソらと交流しました。帰国後は二科展で活動しながら、滞仏経験を活かした文筆や壁画、挿絵、装丁で人気を博しました。

戦後は二科会の国際交流を進め、1960年に日本芸術院会員、翌年二科会会長に就任しました。80歳で亡くなるまで洋画界に大きな足跡を残しました。

年 譜

  • 1897年

    4月28日 鹿児島生れ。5歳のとき一家で東京に転居する。

  • 1910年

    青山学院中学部に入学。在学中に竹久夢二の港屋に出入りする。

  • 1915年

    作曲家・山田耕筰に感化を受け初個展に《コントラバスを弾く》を出品、日本初の「立体派・未来派」風と話題になる。

  • 1916年

    第3回二科展に《パラソルさせる女》を出品し二科賞を受賞。

  • 1921年

    フランスに渡る。未来派の政治色に失望しピカソらと交流を深める。

  • 1928年

    帰国。第15回二科展に滞欧作23点を展示。装丁やデザインの仕事をする。

  • 1931年

    二科会会員となる。この頃に宇野千代と同棲。

  • 1934年

    藤田嗣治のブラジルコーヒー宣伝室(銀座)の壁画制作を手伝う。

  • 1938年

    二科会の前衛的美術家が「九室会」を結成し、藤田嗣治と顧問になる。

  • 1945年

    終戦、二科会の再建に奔走する。

  • 1957年

    大洋デパート(熊本)の壁画が日本芸術院賞を受賞する。

  • 1960年

    日本芸術院会員となる。二科会とサロン・コンパレゾン(パリ)の交換展を実施。以後、各国と国際交流を進める。

  • 1976年

    新宿に東郷青児美術館(現・東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館)開設。

  • 1978年4月25日

    熊本で客死、享年80歳。没後文化功労者。